2007年11月28日

なんとなく

街歩きをしていると、なんとなくシャッターを押している時がある。
その時にはなにかを感じているのだと思うが、後から見ると、やはりなんとなくの写真なのである。
オチの無い話題だな。



Zeiss Ikon
NOKTON 35mm f1.2 Aspherical
NEOPAN100 ACROS

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comments

私は、その場スナップでは本当に意味のない写真しか量産できなくて、何かを「記述」している意味を持たせられなくて、結果的にポートレイトが主軸になりました(笑)
テーマというのか、お題というのか、何かがないと写真は写っているだけになるんだなあとしみじみ思います。
そして、機材メーカーがいろんな自動化・機械化を入れていく結果、お題を考えないで撮影するという習慣を多くの人に与えようとしているようにも思うんです。

  • うちかわ
  • 2007年11月29日 07:37

確かに、AE,AF,なおかつデジタルだと無駄打ちがどうしても多くなります。
ただ、撮っている内に今の撮り方に飽き足らず、寄るとか引くとか、露出を工夫するとかする人も当然出てくると思います。
プロが素人に教えるのに、「たくさん撮りなさい」、と言うのはその辺りに意味があるのかもしれません。
また、一枚だけ見ると面白くない写真でも、組み写真の中の一枚としてみると俄然意味が出てくる場合もあると思います。
すべてが見せ場ばかりの写真集だときついかもしれません。
いずれにしてもインターネットという公の場に自分の写真を晒す以上、少しでも楽しんでいただける作品を撮りたいと思っています。
これは自分に対する戒めです。

  • shiba
  • 2007年11月29日 17:03

私の場合はインターネットに自分の写真を晒しているのは、写真は見せてナンボと思っているからなんです。自分だけでいいのなら、そもそも心の記憶にだけとどめるほうが美しく残ります。写真なんていらない。だから共有したいって思いはやはりあります。
でも、人に楽しんでほしいという意識が強くなりすぎると、「自分」がなくなってしまうと思っています。
商業写真家じゃあない、旦那芸なので(笑)、好きにさせてください。でも、もし気に入ったら見てくださいねってところでしょうか。

  • うちかわ
  • 2007年11月30日 07:34

こんばんは。
そうですね。
意識しすぎると自分の指向を曲げることになり、本末転倒ということになります。
私の場合、人様に見ていただいているということが、いい刺激、緊張感になっています。
心のありようは、必ず自分の写真に反映するものだと思います。

  • shiba
  • 2007年11月30日 17:06
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